学校の働き方改革「10の提言と50の具体策」

持続可能な学校をつくるための具体的な提案

【コラム8】コロナ×学校の働き方改革①

新型コロナウイルス感染防止対策(以下「コロナ対策」「コロナ問題」)によって、学校の働き方改革の問題は消し飛びました。むしろ、「子どもが学校に来ないのに先生は何をやっているんだ」「授業をしていない先生に給料払うのか」という、いつもながらのバッシングさえ起こっており、今、学校の働き方改革について発言することはリスクさえ伴います。

しかし、こんな状況でも声を上げなければいけないのは、今後、急激な教育改革が行われるかもしれない中で、教育の持続可能性が考慮されなければ、その被害を受けるのは子どもたちだからです。


結論から言えば今回のコロナ問題で明らかになったことの一つに「日本型学校教育」の脆弱性があります。日本型学校教育とは、子どもの教育の学校への一極集中です。文部科学省のサイトには次のように示されています。


・学校教育はいずれの国においても重要な社会システムであるが,日本と諸外国の学校の在り方は大きく異なる。諸外国では,教員の業務が主に授業に特化しているのに対し,日本では,教員が,教科指導,生徒指導,部活動指導等を一体的に行うことが特徴となっている。
・これは,日本の学校が,それぞれの時代において社会の要請に応えながら,子供たちに必要とされる資質・能力を育むことができるよう発展してきた姿であり,こうした「日本型学校教育」は,国際的にも高く評価され ,学力面では,OECDPISA調査等の各種国際調査を通じて世界トップレベルとなっているとともに,勤勉さ,礼儀正しさなど道徳面,人格面でも評価されてきた。このようなことから,「日本型学校教育」の海外展開が要望されるようになっている。今後も,このような「日本型学校教育」の有効性が生かされることが重要である。


日本型学校教育は、確かに子どもの育成という面では一定の効果があることは間違いないのですが、大きく2つの問題があります。
1つ目は、教員への負荷が高すぎることです。現在の教員定数では、かなりの長時間労働を行わなければ日本型学校教育の実現はありえません。
2つ目は、家庭教育力、社会教育力が低下するということです。ですから、今回のように学校が機能停止になると子どもたちへの教育のほとんどが停止してしまいます。この2つ目の問題については多くの方にとって盲点になっているのではないかと思います。


私は平成元年に教員になりました。この30年余りで子どもにかかわることは何でも学校に求める風潮が高まりました。行政は様々な「◯◯教育」やコンクールを学校に持ち込みました。地域はイベントへの参加を学校に求めました。部活動は過熱し、顧問は土日も休むことなく指導に当たりました。保護者は本来家庭教育が担う範囲まで学校に求めるようになりました。
学校はそういう要求を断る選択肢は与えられていないため、多くを受け入れ「子どものことはすべて学校」という風潮を自ら高めていきました。
私は15年ほど前から、このままでは地域や保護者の教育力は低下してしまうのではないかという危機感をもちながら状況を見ており、実際に低下していく様を確かめてきました。


今回はまず家庭教育に絞って話をすすめます。


今、家庭の教育力・意識が弱くなっていることは学校に寄せられる保護者の言葉に現れています。
「先生、うちの子家に帰ってもゲームばかりしているのでもっと宿題を出してください。」
こんなふうに言われると、「ゲームを買ったのはご両親じゃないですか」と言いたくなりますが、ぐっとこらえます。子どもにもっと勉強してほしいと思うなら、問題集を買ってきて、横について一緒にやればいいのですが、嫌がる子どもをしつけることは時間も手間もかかります。最も簡単な解決方法は担任に「もっと宿題をたくさん出してください」と迫ることになります。ある6年生の保護者は「中学校に行くと課題がたくさん出て、小学校のうちに家で勉強する力がついていないとついていけなくなるんです。中学校で落ちこぼれたら先生のせいですからね」と迫ったそうです。学習指導要領には「家庭との連携を図りながら,児童の学習習慣が確立するよう配慮すること」と示してあるように、家庭学習の主体者は子どもと保護者であり、学校はあくまで補助的な立場になります。
「家に遊びに来る友達が冷蔵庫の中から飲み物を出して飲んだりお菓子を食べたりするので学校で指導してください」
「玄関の靴も脱ぎ散らかして入ってきます」「挨拶もしません」「私が言ったって分からないように個別に注意するのではなく全体に指導してください」と追加注文がつきます。確かに、よその子に注意をすると後で我が子が被害を受けたり、親同士がギクシャクしたりとはばかられる気持ちも分かります。私も学校現場にいた時は、要求に応じて子どもたちに指導したり、学年だよりで呼びかけたりしました。しかし、こうやって学校が学校外の問題にまで登場することで、保護者が学んだり経験したりする機会を失わせているのだろうなという反省はありました。
「家ではニンジンが食べられないので給食で食べられるように指導してください」
学校の給食指導は「楽しく会話をしながら」が基本ですが、栄養摂取や残食抑制にこだわりすぎる教員が一定数おり、未だに昼休みになっても給食を食べさせていたり、担任が無理やり口に押し込んだりするような指導があると聞きます。偏食指導は学校の領域ではないのですが、やる先生がいることで、頼る保護者が現れ、実際に食べられるようになる子が出ることで、「あの先生は指導してくれた」という実績ができ、親は偏食指導は学校でと頼ってしまいます。
「うちの子が学校で言うことを聞かないのは、子どもとの人間関係を築けなかった先生のせいだ」
学級崩壊などで苦しんでいる先生方からの話で最近よく聞くのが保護者の協力が得られないということです。昨今、学校で生じた子どもの問題行動はすべて学校の責任のような捉え方が一般的になっているのではないかと思います。しかし、学校が適切な指導を繰り返しているにもかかわらず、いじめや暴力行為、破壊行為をしたら(状況にもよりますが)それは保護者の責任です。民法714条には「責任無能力者を監督する法廷の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に与えた損害を賠償する責任を負う」と定められているからです。実際の判例でも学校の責任を否定しつつ保護者の責任を認めたものが多くあります。
「これからはスマホのトラブルは保護者の責任になりますよ」
これは保護者ではなく中学校の校長先生が入学説明会で言った言葉です。その時に、保護者が急に真顔になって会場がざわついたそうです。かつて子どもが携帯電話をもつことに学校はかなり難色を示しましたが、内外からの声によって認めざるを得ませんでした。その時に「親子の約束の上で与え、責任は保護者がもってください」とお願いするのが妥協点でした。しかしその後、スマホのトラブルはそれが帰宅後に行われていたものであっても指導は学校が行うことになり、生徒会で「◯◯中学のスマホ10か条」を考えさせなければいけなくなりました。


このように家庭の教育力と意識が低下していくのを学校はもちろん問題視はしていたのですが、教職員自身の意識の中にも「それは学校の役割」と疑わず、宿題を大量に出したり、偏食指導に力を入れたり、問題行動を一手に引き受けたりした面があり、教職員の意識も保護者の意識も相乗的に偏っていきました。


今回のコロナ対策でも、「勉強は学校」という意識が強すぎないかと私は思います。
ネットに現れている保護者からの声は
「プリントが2、3枚出ただけであとは音沙汰なし」
「プリントはたくさん出るが、親が丸つけをしなければいけない」
タブレットの支給はうちの市ではないのか」
「はやく遠隔授業をしてほしい」
というものが多く、「待ち」「受け身」の姿勢が強いように思えます。
もし学習に対して学校と家庭が連携してすすめる体制ができていたら、現在の家庭学習の進め方もかなり違ったものになっていたのではないでしょうか。例えば、プリントは子どもに対してではなく、保護者に対して出すという方法も考えられます。保護者に「教科書◯ページの新出漢字を正しい書き順で書けるように教えてください。その後、プリントで練習をさせてください」というような課題の出し方であれば、おそらく今より充実した学習がすすめられていたと思います。
このように書くと、おそらく「それができない家庭はどうするんだ」という反論があると思います。逆に言えばそこに集中してタブレットWi-Fiを配置するとか、福祉課が支援に入るなどの方法もあると思います。
確かに在宅勤務をしながら子どもの学習をみるのは簡単ではないと思います。通常勤務で昼間は子どもを見られない家庭もあるでしょう。しかし、1日30分子どもに向き合うだけでも、子どもたちの学びは確実に前進します。
ある先生が学童保育の見守りに行くと、1年生の子どもが「8」の練習をしていて、3の逆と3を組み合わせて書いていたそうです。2年生の子は繰り上がりの筆算(未習)をやっていて17+5を112と出していたそうです。共に、保護者がちょっと寄り添えば回避できるはずです。


私は保護者がもっている潜在的な教育力はかなり高いと思っています。4月当初に学校から出る大量の調査書等を提出したり、算数セットのパーツの一つ一つに名前シールを貼ったり、図工の材料をお願いするとどの家庭でも精一杯集めてくれたりします。自分がやるべきという意識があれば、行動に移せる家庭は私の印象では9割以上あります。現実的には、経済格差、生活時間の中のゆとり、育児に対する意欲など、様々な障壁はあります。しかし「だから学校がすべて」ではなく、家庭を支援する行政の機能を充実させる方が大切だと思います。


教育基本法には次のようにあります。


第10条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

第13条 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。

 

本来、子どもを教育する主体者は保護者であり、学校は保護者と共に子どもを育てるパートナーです。
もし今、学校から保護者へ「お子さんの勉強を見てください」とお願いしたら、学校バッシングすら起こりそうです。しかし、子どもの勉強を保護者が見る必要がないと考える社会は正常とは言えません。そしてこの状態を生み出してしまったのが日本型学校教育です。
今、子どもたちの学びが停滞している中で、遠隔授業や双方向通信の活用に議論が向いています。私はそれを否定するわけではないし、これからの教育に必要であると思います。ですが、それと同時に、子どもたちの学びをすすめるのは学校だけではなく社会全体だという意識をもつことも大切だと思います。そして今、その大きなチャンスなのです。

 

(今回の記事は特に保護者側の立場の方からご批判もあろうかと思いますが、いろいろな立場の方から学びながら自分自身の考えをアップデートしたいと思いますので、忌憚のないご意見をいただければ幸いです。) 

f:id:nozzworld:20200509144023p:image