学校の働き方改革「10の提言と50の具体策」

持続可能な学校をつくるための具体的な提案

「#学校ってなんだろう」を読んで

「#学校ってなんだろう」という本があるのを知って早速取り寄せた。学校の存在意義について20人の教育関係の専門家がそれぞれの立場から意見を述べている。この企画は実に意義深いと思う。
さて、読み終わって驚いたのは、私と同じ考え方が一つもなかったことである。
20人の考え方はそれぞれ違っておりそれはとても望ましいことだと思う。またそれぞれをグルーピングすればいくつかの「似たグループ」に分けられる。私の考えは誰とも似ていない。
そこでちょっと不安になった。
「もしかして大変な勘違いをしているのではないか」
そこで私の考えをまとめたのでぜひご意見いただきたい。
 
ちなみに20人の方々のご意見は次の通りだ。
 
昆虫ハンター、タレント 牧田 習さん 
「学校は可能性を引き出し、将来の選択肢を広げてくれる場所」 
 
公認心理士 佐藤めぐみさん 
「学校は子どもたちの居場所。社会性は触れ合いから得られる」 
 
児童精神科医 前田佳宏さん 
「学校というパッケージには、生きていくためのスキルが詰められている」 
 
弁護士 鬼澤秀昌さん 
「学校には知識を獲得し、対話をする機会が平等に与えられている」 
 
家庭教育師 藤田郁子さん 
「学校は、家族以外に自分を愛してくれる人と出会い、世界を広げる場」 
 
陰山ラボ代表 陰山英男さん 
「大切なのは学校?教科書?学習は新たな成長を遂げるときを迎えている」 
 
臨床心理士 村中直人さん 
「学校へ行かなくても「学ぶこと」を絶対にやめちゃいけない」 
 
コーチ 白土詠胡さん 
「学校はリーズナブルに不快や不自由を体験できる場所」 
 
カウンセラー 桒原航大さん 
「学校は自分らしさを知り、人と関わり合う力を身に着ける大切な居場所」 
 
タレント パトリック・ハーラン(パックン)さん 
「好きや得意を極めたいなら、まずは学校で"脳みそ"を鍛えよう! 」 
 
アンガーマネジメントファシリテーター 長縄史子さん 
「人との違いを学び、心を成長させることに学校の存在意義がある」 
 
心理士 車 重徳さん 
「学校の役割は、知識力・集団行動力・コミュニケーション力を鍛えること」 
 
プログラミング教室主催 福井俊保さん 
「学校は子どもたちが地域とともに成長することを学ぶ場所」 
 
教育社会学者 内田 良さん 
「学校が安全安心な場所になるような学校の現状を見つめ、それぞれが意識改革を」 
 
「学校がつらすぎるなら行かなくていい。でも学ぶことは止めないで」 
 
哲学者・教育学者 苫野一徳さん 
「"みんな一緒に"という幻想から脱却し、これからの教育を知ることを始めよう」 
 
いじめ相談員 小野田真里子さん 
「"人生は一冊の問題集"学校もその一ページ」 
 
フリースクールカウンセラー 荒木信雄さん 
「学校は社会性・勤勉性を培い、人間関係を築き心を育む場所」 
 
臨床心理士 久保田健司さん 
「学校は"いざというときにSOSを出せる自分"を育む場所」 
 
教育学者 萩原真美さん 
「ひとつの方法に固執せず、多様性のある個別学習で学びの可能性は広がる」 
 
以上である。
 
改めて教育に期待されていることが際限なく広がっていることが分かる。「学力」「社会性」「集団行動力」「コミュニケーション力」「かかわりあう力」「心の成長」「勤勉性」「安心安全」「居場所」・・・。広がり過ぎて根本が見えにくくなっている。根本に戻って「なぜ学校があるのか」と考えるところから私の考えを述べる。
日本の近代教育のスタートは明治5年の学制発布。その背景にあるのは富国強兵。当時は「学校ってなんだろう」と問われれば「他国に負けない国を作るため」と即答である。
その後、戦争の反省から、学校で学ぶ意味は、「国のため」から「個人のため」に軸足を大きくシフトした。20人の論客はすべて「個人のため」を軸に論を展開している。
私は「個人のため」を否定はしないが、軸足は「個」と「国」の間が望ましいと考えている。そして「国のため」というよりも「社会のため」という捉え方をしている。「社会のため」の中には「家族のため」「友達のため」「地域のため」という狭いものも、「世界のため」という広いものもある。また「国のため」にという考えを否定するものでもない。簡単に言えば、「自分」と「自分以外」ということになる。
「国」に軸を置くことが極めて危険なことは実証ずみだが、極端に「個」に軸足を置くこともまた危険である。「個」は自由を基盤としている。それは放置された自然界の弱肉強食の世界だ。弱肉強食は自然界ではバランスが取られた状態であるが、人間社会にこの原理を投入すると困ったことになる。それは「格差」が発生するからである。格差は世代を追うごとに拡大する。食べ物に困るほどにまで収入が落ちると「基本的人権」を守れない。日本が今世界の中でもかなり安心して過ごせる社会であるのは、一定の平等が保たれているからである。そしてこの一定の平等を必死で守っているのが学校であることはあまり認識されていない。
現在の学校は時に「軍隊」と揶揄されるほど、「個」を殺し、「平等」を求める。理念は「自由な個人」であるはずだが、学校運営に子どもの自由はほぼ「ない」。そうしないと学力の格差が開き、校内の安全も守れないからだ。同調圧力や校則で自由を規制することで、子どもの学ぶ権利を守っている。できるだけ多くの子に一定水準の学力をつけ、勉強が苦手な子にも「根性」「協力」「責任感」などが身につくようにと行事や部活動などの場を広げた。つまり、学力=認知能力の向上を目指し、同時に努力や向上心などの非認知能力の補完にも力を尽くした。そうすることで学校を卒業した後に、子どもたちは自分の力で生きていく「自由」を得る。
日本の教育は教えこみだと長く批判されてきた。しかし、OECDの国際成人力調査PIAACによれば、日本の成人の学力(読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力)は世界1位である。社会を支える力を育むという点では、日本の教育は成功していると言っても過言ではない。教えこみで育った人材も今のところ企業の中で立派に活躍している。
もちろん今の閉塞的な学校のあり方が子どもたちにさまざまな歪みをもたらし、「いじめ」や「不登校」で涙を流している子があまりに多いことは重々承知している。しかし、これを自由の側にシフトすれば、今度は別の子が「貧困」や「犯罪」によって涙を流すことになる。一見歪んだような今の日本の学校のあり方は、一つの適正解なのではないかとも思える。
私と20人の違いは、軸足が「個」にあるか、「個と社会の間」にあるかという些細なことかもしれない。「美味しいから食べる」か「健康のために食べる」かという意識の違いで、食べることには変わりなければ結果も変わらないという見方もできるだろう。
ただ、学校教育という巨大な機能によって今の日本では安定した生活を送ることができていることにもう少し自覚が必要ではないだろうか。今の学校に必要なのは、「平等」の歪みによって涙を流している子に手をさしのべることであって(国が教育にお金をかけないことが本当の問題!)、安易に「自由」にシフトすることではないと私は考えている。
令和の教育改革が個人の幸せや過度な人権意識によって、この平和を無自覚のまま崩壊させることになったら、それは取り返しのつかない悲劇だと思う。
 
そして、もし私が「#学校ってなんだろう」の20人に選ばれたらこう書く。
 
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小学校教員 能澤 英樹
「あなたが学校で学ぶことで、幸せな社会ができる」
 
学校はみんなが幸せに暮らす社会を作るために必要です。だから、可能な範囲で(決して無理し過ぎず)がんばって学校で勉強してほしいと思います。
例えば国語。私たちは日本語という共通言語を学ぶことでコミュニケーションが可能になっています。あなたが日本語をよく分かっていなかったり間違えて覚えていたりすると、あなたも周りの人も困ることになります。逆にあなたが豊かな言葉の使い手であれば、会話や投稿でみんなを幸せにすることができます。
算数がきらいな人は多いかもしれません。でもみんなが数のルールを知らなければ買い物も家を建てることも待ち合わせをすることもできません。二次方程式を使うことは生活の中にないかもしれませんが、二次方程式を解くために使ったあなたの頭はいろいろな場面で世の中に貢献することでしょう。
社会も理科もです。会話の中で「それってまるで江戸時代」と言われた時に、「なるほどー」と笑い合えたら楽しいです。常識としてアルカリ性とかペリーとかテコの原理とか知っていると潤いのある生活になります。
世の中で働いているほぼすべての人が、学校で習った基礎基本の上に専門の知識や技能を積み上げてお互いの生活に貢献しています。
 
そして日本では多くの人が気づいていませんが、みんなが学校で学んできたことで、日本は安心して暮らせる国になっています。
もし「勉強しない方が幸せ」「自由に生きる」と言って半数の人が学校に行くことをやめてしまったらと想像してください。勉強をしなかった人を雇ってくれる企業はとても少ないです。あったとしても給料が十分ではなかったり、危険だったり、体に負担がかかりすぎて長くは続けられない仕事だったりします。収入が得られない人は困った末に間違った方法でお金を手に入れようとするかもしれません。実際、このように学力の差や収入の差によって治安が悪くなってしまう国はとても多いのです。
また、高度な知識・技能が必要な仕事に人が足りなくなるといろいろな問題が起きます。例えば、食べ物が足りない、電気や水が届かない、壊れた物が直せないなどの不都合が出てくるでしょう。これもまた安心して暮らせる社会とは言えません。
一方で勉強をした人には、いろいろなチャンスがやってきます。もちろんすべての人が自分のやりたい仕事に就けるわけではありませんが、学校で勉強してきた人には、いろいろな仕事を選ぶ「幅」があります。こうして完全とは言えませんが、一人一人が活かされることで世の中が回っていきます。中には、障害をもっていて仕事ができない人もいます。もしかしたら、今は健康なあなたも何かの事故で働けなくなるかもしれません。だから、生活保護といって働けない人や収入が少ない人に金銭的な支援をする制度もあります。それは、みんなの収入の中から出し合った税金で成り立っています。
日本が安全で安心な国でいられるのは、学校がみんなの力を伸ばし、活躍するチャンスをもたらし、誰もが働くことによって支え合う社会ができているからです。
 
日本国憲法には3つの「義務」があります。
「子に教育を受けさせる義務」
「勤労の義務」
親(保護者)が子に教育を受けさせる義務がありますが、子どもには勉強しなければいけないという義務はありません。子どもが学校に行かないと親が罰せられることはありません。
勤労の義務とありますが、仕事に就かないからと言って罰せられることはありません。
仕事をしなければ収入がないので、所得税を払う必要はなくなります。だからと言って罰せられることはありません。
アルバイトで自分が生きていける最低限の収入を得て税金をほとんど納めずに生きることもできます。働かずに生活保護を受けて生きることもできます。でも、そういう人ばかりになると税収が減り、国の支出が増えますので、税金を基盤とした社会が崩れていきます。でも、学校で「みんなのためになることをすると自分も幸せになる」ことや「みんなが幸せになるためには自分が我慢しなければいけないこともある」ことを学んだ人は、義務でなくても働くことを選びます。そういう意味でも、今の社会を支えているのは学校なのです。
確かに学校は息苦しい部分も多いです。改善していかなければいけない部分もたくさんあります。公立学校が合わない人のために、フリースクールオルタナティブスクールなどの環境も少しずつ整いつつあります。様々な選択肢を使って学び続けてほしいです。
150年の間、先人たちが学校で学び、その力を活かして働いてきたからこそ、現在の安全・安心で豊かな社会が作られてきました。
学校で勉強しましょう。幸せな社会をみんなで作るために、あなたの力が必要なのです。
 
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以上が私の主張であるがご意見あればぜひ!
 
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