学校の働き方改革「10の提言と50の具体策」

持続可能な学校をつくるための具体的な提案

【具体策11】夏休みの宿題と作品応募のあり方を見直す

私の住む地域では、小学校の夏休みの宿題は、①ドリル、②作品応募、③日記、④自主学習などが一般的です。提出物として、「生活表」(日々の学習時間や1行日記の記録)やラジオ体操カードなどがあります。

たくさんの宿題を出す背景には、教員側に「1か月以上勉強をさせなかったら子どもたちの学力が低下してしまう」という不安、保護者側に「宿題がなかったら子どもたちはゲームばっかりしてしまう」という不安があり、これを同時に解消するWINーWINの関係があることは間違いありません。一方で、夏休みの終わりには、何で早く取り組まなかったのだろうという子どもの後悔、宿題をさせきれなかった親の怒り、そして大量に積まれた夏休みの宿題を処理しなければいけない教員の憂鬱が発生します。

また、宿題として定番になっている作品応募は、自由研究、絵画、読書感想文、作文、写真など、様々なものがあります。これには、教員側の「夏休みに何かよい課題を与えたい」という願いと、各種団体側の「子どものために何かしたい」「うちのイベントを子どもたちの作品で盛り上げたい」という願いが重なり、WINーWINの関係になっていると思われます。しかし、作品応募にかかる教員の負担が多大であることはあまり知られていません。

今、私の手元に、とある小学校の作品応募の一覧がありますが、全部で24種類(B4用紙に3ページ)の課題が紹介されています。それぞれの課題から自由に選んで子どもたちは作品をもってきますが、一つ一つの作品に作品票を貼ったり、出品作品を選考したり、出品者名簿を作ったり、梱包したり、発送したりする作業はすべて教員が行うことになります。例えば、30人のクラスの担任であれば、「1点か2点の出品」を宿題にすると30〜60程度の作品の処理をしなければいけません。これらの業務が、授業の準備に多大な弊害を与えていることは世間には知られていません。

実は文部科学省はこの問題を認識しており、柴山文部科学大臣は、今年1月29日に「学校における働き方改革に係る文部科学大臣メッセージ」を公表し、次のように述べています。

「例えば,学校は,多様な機関から依頼を受け,子供・家庭 向けの周知などを行っています。特に夏休みなど長期休業前は依頼が多く, 子供たちの成績処理で忙しい時期にも関わらず,学級ごとに配布物を仕分け,学級担任が一枚ずつ配っています。各機関からのそれぞれの依頼は小さいですが,これが積み重なることで負担が大きくなっています。」

「学校への子供・家庭向け周知等の依頼は厳に精選いただき,学校を経由しない方法(公共施設等での配布,インターネットや広報誌への掲載など)を活用いただくこと。」

「作文・絵画コンクール等について,学校単位での応募や学校による審査や取りまとめを要件としない,また,学校経由での子供への周知を求めないようにしていただくこと。」

(詳細は http://202.232.190.211/a_menu/shotou/hatarakikata/1419588.htm

しかし、残念なことに、このメッセージは作品応募を依頼する団体にまったく届いておらず、今年も例年どおりの応募が行われています。

本来、学校外の各種団体が子どもたちを対象に行うコンクールやコンテストは「社会教育」の分野であり、「学校教育」とは切り離される部分です。それが、「夏休みの宿題」というWIN-WIN(当時)の接点によって、強固に結びついてしまいました。かつては(今も)、作品の提出を強く迫る団体もあり、結果として抱えきれない量になりました。

私は柴山文科大臣がメッセージで示したとおり、学校の作品応募は「学校を経由しない方法」で行われるのがベストだと思います。学校が作品応募に追われて授業の準備に支障が出ている状態を早急に是正すべきです。ただ、各団体が学校に頼りきっている状態で「今さら」切り離しをすることは簡単ではないでしょう。ここで必要なのは「対話」ですが、数多の団体一つ一つと対話をすすめる余裕はありません。

富山県職員組合では、JA主催の「書道コンクール」について、主催団体と意見交換を行いました。(写真は私のフェイスブックのスクショです。)

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私たちのこのとりくみは始まったばかりですが、これ以外の数多の団体に対して「どこから手をつけていいのか」悩ましいところです。過去には対話をお願いしても門前払いされた経験もあり、簡単ではないと思っています。

学校独自でできる工夫もあると思います。単に出品数を減らすのであれば、宿題にせずに「募集の紹介」に留めるという方法があります。子どもたちの自主性も支えられます。出品数が減って困る団体もあるかもしれませんが、それは募集に魅力がないからであり、それを何とかするのはその団体の役割です。それを学校が手助けすると、社会の教育力が低下することも考えなければいけません。同様のことが家庭にも言えます。宿題もやみくもに出すのではなく、減らすことによって家庭に任せる部分も作っていかないと、ますます家庭の教育力が落ちてしまいます。大量の宿題で夏休みの子どもたちを学校が遠隔操作しようとするこれまでのあり方は見直される時期にきていると思います。

私が考える理想は、7月の下旬に新聞に各団体の作品応募が一覧になって紹介されることです。詳細はQRコードでサイトに移動できるようにすれば、スペースも少なくてすみます。参加賞を工夫すればたくさんの応募があるでしょう。新聞を開いて親子でどれに応募するか考える姿が期待できます。

さて、これをお読みの方で、ご自分のかかわる学校で「作品応募はしていない」「やっているけどこんなふうに改善した」という例がありましたらぜひお知らせください。また、夏休みの宿題の状況も教えていただけるとありがたいです。都会の方では、夏休みの宿題も減っているということも聞きます。そのような情報を学校に周知することが、学校の働き方改革をすすめる「追い風」「勇気」「推進力」になります。よろしくお願いいたします。

【コラム4】平成の教育を多忙にした犯人は

地元の新聞社から取材がありました。
「平成を振り返って、学校の多忙はどのように進んだのですか?」
私は平成元年に教員になっていますから、まさに多忙化の過程を歩んできました。
しかし、どこに多忙の根源があったかというのはなかなか見えないものです。まさに「茹でガエル」(熱湯にカエルを入れると飛び出すが、少しずつ加熱していくと飛び出さず死んでしまう)のようにジワジワと苦しめられてきたように思います。
多くの人は「給特法」を多忙の原因として取り上げるのではないかと思いますが、私は、平成19年の学校教育法改正による「学校評価」の義務化が致命的だったと思います。当時は、「また仕事が増えたか」くらいにしか思っていませんでしたが、今思えば深い部分で学校と保護者の意識を変質させました。

ちょうどその頃は、社会全体に「説明責任」を問う風潮が高まっていました。学校もその例にもれず、税金で運営した成果を公表すべきと学校教育法が改正がされ、学校教育法施行規則に
・学校の自己評価の実施・公表
・保護者など学校関係者による評価の実施・公表
・それらの評価結果の設置者への報告
を行うことが示されました。例えば、保護者向けのアンケートに「学校は子どもたちに分かりやすく勉強を教えていますか」、子ども向けのアンケートに「先生は子どもの相談にのってくれますか」などの質問をし、集計し、公表するというものです。
これによって、保護者は学校と共に子どもたちを育てる「パートナー」から「カスタマー(顧客)」に立場を変えていきました。「モンスターペアレント」が流行語になったのも同時期です。多くの保護者は「モンスターペアレントなんて許せない」「自分はモンスターペアレントにはならない」と言っていましたが、過剰な要求はしないまでも、「顧客意識」は確実に浸透しました。

これは、学校に限らず社会全体に広がった意識です。病院の掲示板には数十枚の「患者様の声」とそれに対する回答の紙が貼られました。「柿の種」の袋には「辛さには個人差があります。辛味が苦手な方やお子様は十分にご注意ください」と書かれています。
この流れの中で学校自身も「サービス業」に意識を変えました。管理職は「説明責任」の名の下で、保護者の要求に応えるための業務を次々と増やしました。
「もっと宿題を出してほしい」「もっと部活動をやってほしい」「朝早く登校させてほしい」という要求は、家庭での養育時間を短縮し、学校の長時間労働を助長しました。
「親の言うことは聞かないので、先生からもっと勉強するように言ってください」
「近所の子の自転車の乗り方が危ないのですが、学校で指導しないのですか」
「家に遊びに来た子が、勝手に冷蔵庫を開けて困ります」
ごく普通の保護者が悪気もなく当たり前に学校に相談をもちかけます。
そして、そのような要求があった時に、学校は(私もそうでしたが)「承知しました」とその要求に応えました。「それって学校の仕事か?」と多少の疑問をもちながらも、その方が、面倒なく、手っ取り早く問題解決ができるからです。「いや、それは学校ではなくてご家庭で指導してください」という説得は時間がかかるだけでなく、下手をすれば大きなクレームを発生させかねません。また、当時の管理職の中には、保護者の要求に先回りして様々なサービスを提供することで高い評価を受けた人も少なくありませんでした。単に仕事が増えただけでなく、クレーム対応、クレーム予防のような「疲弊する業務」が増えました。そして、学校が要求を受ければ受けるほど、保護者の教育力は低下し、ついには親同士のトラブルまで、学校が仲介しなければいけないほどです。
今、学校の働き方改革の風が吹いています。学校の窮状がマスコミで繰り返し伝えられ、学校の改革の必要性に保護者は理解を示しつつあります。しかし、このチャンスに、学校側が萎縮して削減や改善を口に出せなくなっています。度重なるクレーム対応が集団的な「トラウマ」になって、意見を言うことにブレーキをかけているように思えます。

もちろん、多忙の原因は他にもたくさんあります。「全国学力・学習状況調査による学力向上ブーム」「絶対評価の導入」「教員免許更新制度」「夏休みの承認研修の実質的な廃止」「教科と授業時数の増加」・・・しかし、「学校はサービス業」という意識の変化は仕事を際限なく増やす可能性があるという意味で致命的です。
「給特法」が昭和の教育が遺した大きな負の財産であるならば、「学校評価」は平成の教育が遺した大きな負の財産と言えるでしょう。恐ろしいのは、学校評価をやめたとしても、意識が元に戻ることはそう簡単ではないということです。

では、どうすればいいのでしょう?それはまた令和になってから【提言】【具体策】で示したいと思います。

 

《5月2日追記》ツイッター等でご意見をいただいています。教職員の方からはおおむねご賛同をいただいているのですが、保護者の方からは「的はずれ」「違和感を感じる」「顧客意識はない」とご意見をいただくことが多いです。確かに読み直すとあたかもすべての保護者の顧客意識が高まったような表記になっています。確かに、学校に様々な要求をしてこられるのは一部の方々ですし、私もすべての保護者の意識が変わったとは思っていませんので、ご了承ください。

《5月2日追記2》画像を変更しました。

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【具体策10】「自転車教室」は地域・保護者が行う

以前、東京の小学校の先生と話をしていて驚いたことがあります。(私は富山県の教員です。)
私が「うちの地域は小学校で自転車の交通安全教室ってやるんですよ」と言うと、その方は「それ東京でもやってますよ」と言われました。
詳しい話を聞くと、細部まで共通していました。
・小学校3年生を対象に
・グラウンドに道路に見立てたラインを引いてコースを作り
・警察も来て
・一旦停止、左右確認等の安全な走行の練習をする
・子どもたちは「自転車教室」を受けるまでは、自転車の路上走行は禁止。(保護者の同伴であればよい)
さらに、作ったコースに対して人数が多すぎグラウンドは大渋滞というところまで一致していました。
唯一違っていたのは、自転車に乗れない子が、うちの地区が1〜3%程度なのに対して、東京では30%くらいであるというところでした。

東京と富山でここまで共通ということは全国的に相当な数の学校で同様の行事が行われていることが予想されます。

ちなみにこれにかかる教師の労力は相当なものがあります。

・指導計画の作成
・警察と日程・指導内容の打ち合わせ

・自転車販売店(点検をしてもらう)との日程調整
・子どもたちに自転車を持って来させるための保護者への連絡(事前に親が持ってくる場合、当日子どもが持ってくる場合、当日雨の時の連絡方法等)
・自転車を置く場所の確保と並べ方の指導
・実施日のグラウンド確保とコース作成

さらに路上での練習を行う場合は
・路上コースの下見、コースの決定
・PTAへの協力依頼
・職員の役割分担(何時から何時まではA先生だけど、何時からはB先生などの調整が必要)
などの業務が発生します。警察とPTAの接待なども必要で、どこで待ってもらうか、誰がお茶を出すかなど、細部まで担当者を決め、当日に備えなければいけません。当日雨になろうものなら、警察、自転車屋、PTAとの日程調整もやり直しになります。

私の場合は、自転車教室のための事前練習までも行いました。なぜなら「ペダルを45度まで持ち上げ、踏んでスタートする」「ブレーキを握って止まる」というところからできていない子が多数いるからです。ふらつきがひどい子もいます。乗れない子の中には自分は乗れると思い込んでいる子もいます。多くの人がかかわる行事での混乱は避けたいです。
事前練習のためには数日、自転車を学校で預かることになります。夜、盗まれたら?という心配も出てきます。「今日、一旦持ち帰ります」という保護者の申し出にも対応しなければいけませんでした。

また保護者から「こんな行事があるとは知らず、自転車を慌てて買いに行った。気に入った商品がなかったが、仕方なく買った」と後から苦情が出たこともあります。

さて、この行事を「やればよい」のは理解できます。「子どものため」「命にかかわること」というのも分かります。しかし「やればよいこと」をすべてやっていたら学校はパンクします。どこかで線引きが必要です。

私の考えでは、自転車教室は学校がやるべきことではありません

理由は「学習指導要領にない」からです。これらの持ち込み行事を行うことで、学習指導要領で定められた正規の授業が食われてしまっている実態があるからです。
さらに、学校が抱えきれないリスクも背負っています。もし、この交通安全教室を終え、学校に「認定」された子が事故にあったら、そして保護者に「事故にあったのは学校がきちんと指導せずに認定させたからだ」と追及されたらどうするのでしょう?
本来は親や地域がやるべきことを学校が先回りしてやってしまうことによって親や地域の教育力が落ちることも問題です。

代案を示します。

《代案1》学校での自転車教室は行わず、保護者が責任をもって子どもへの指導を行う。警察から自転車の路上走行のルール、マナーについてのリーフレットを配布し、保護者がそれを元に子どもへの十分な指導を行う。

《代案2》PTAと警察が合同で、もしくは警察単独で、土日などに自転車教室を行い、それに親子で参加し「認定証」をもらうことで、路上走行許可の目安とする。

(個人的には、路上での自転車の使用については各自治体が条例等である程度の規制をした方がよいと思います。)

さて、自転車教室は一つの例でしかありません。学校はしなくてもよい多くのことをサービスとして行い、それによって生じる責任も抱え(それゆえ綿密な計画による実施が余儀なくされ)、地域の教育力を低下させ(それゆえ面倒なことはどんどん押しつけられ)ています。

昨今「学校は多忙で大変だ」ということがかつてないほど世間に周知されています。これを見直すのは「今」しかないと思います。学校の働き方改革の風が吹いているうちに、教育委員会や各学校の校長先生が、警察、PTAと懇談の場をもつことでしか見直しは始まりません。そして、もしもうまくいけば「警察が見直した」という事実が、「私の組織も見直すべきか?」という連鎖を呼びます。

もしも、すでに学校から切り離したという事例がありましたら、ぜひ、お知らせください。このような改革こそ、横に広げるべきです。

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【4コマまんが①】4月は気をつけて

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これは富山県職員組合の機関紙に掲載したマンガです。

読まれた方から「職員室で先生方みんなで『そうだよなー』って笑っていました」と感想をいただきました。

「でも、その後の職員会議で、マンガと同じことになっていました」と。

現実の学校はマンガより皮肉です。

【具体策9】子どもの登校時間の適正化を

教職員の勤務開始時刻は8時00分から8時15分くらいに設定されている学校が多いようですが、多くの子どもたちはその前に学校に到着している現状があります。8時前後を子どもたちの登校時間として設定している学校が多いようです。家を出る時間はさらにその前の7時台になります。

独立行政法人日本スポーツ振興センター災害共済給付の基準に関する規程」では、「通常の経路及び方法により通学する場合  通学するとき  登校中  下校中」は学校の管理下という判断がなされており、事故があった災害給付の対象となっています。勤務時間外に責任を負う状態が発生しているということになります。

この状態をどのように判断すればよいのでしょう?

2017年に行われた中央教育審議会で「登下校の見守りは自治体の業務」という結論が出ました。

つまり、登下校中の安全確保は「学校の管理下」であるが「教職員が見守る必要はなく、責任は自治体にある」という判断になると思います。(この場合の「学校の管理下」というのは、「学校=校長・教職員」ではなく、「学校=設置者」という見方が適切かと思います。)

では、子どもたちが7時50分に学校に到着して、教職員の勤務時間開始が8時10分であった場合、7時50分に〜8時10分の20分間の子どもの安全管理は誰が行い、トラブルがあった場合の責任は誰が取るのでしょうか?

このブログの【提言3】「グレー」な運用を適正化するでも申し上げたように、学校にはこのような管理上の「曖昧さ」が随所にあります。結果としてその全てが学校=教職員の負担になっているというのが現状です。

現状を整理すると、

①子どもを早く登校させたい保護者がいる(自分の出勤時間の都合等で)。子どもを早く登校させたい教職員がいる(部活動の指導等で)。

②早く登校させたい保護者・教員の要望を管理職が受け入れる。

③教員の勤務時間前の登校が常態化する。

④「子どもが登校しているのだから、教員は早く登校して当然」という指導が行われたり、自主的に「教室で子どもを待とう」という活動が推奨される。

という流れがあります。

これによって、勤務時間の延長というコストが発生し、子どもの安全管理のリスクも増加しています。

中には、教職員の勤務時間前に、学校に到着した子どもから校庭でランニングをさせるという学校もあります。もしある子どもが心臓発作で倒れたら、もしその日に限って職員の出勤が遅くなって誰も見ていなかったら。そう考えると、この運営は正気の沙汰ではないと私には思えます。 

 

当たり前に考えて、教職員の勤務時間前に子どもが学校に到着するということ自体があり得ないことです。私はこの状態を行政が放置しておくことは極めて望ましくないと思います。

子どもの登校時間を遅らせなれないならば、中央教育審議会の中で委員の妹尾昌俊さんが「朝の見守りスタッフ」を提案しているように、予算をつけて空白時間が出ない制度を作るべきです。

 

おそらく、適正な運用になった場合、教職員には朝「子どもたちがいない」状況が生まれます。例えば、教職員の勤務開始時刻を8時05分とし児童・生徒の登校時刻を8時20〜30分にした場合、朝に15分程の授業準備等の時間が発生します。これだけで月5時間程度の時間外勤務の縮減が期待できます。

朝の読書や朝の会を縮減し、できるだけスムーズに1時間目の授業に入る時間設定を工夫すれば、日課運営は十分に可能です。実際、地域や学校によっては児童・生徒の登校を8時30分までと設定しているところもあります

 

もう1つ言えば、子どもたちの下校時刻も早めればいいと思います。中学校は部活動があるため、別の議論が必要ですが、小学校では時間を切り詰めて、できるだけ早く下校させることで、時間が生まれます。

学校が子どもを長時間預かると、勤務時間のコストと安全管理のリスクのダブルの負荷がかかるのです。また子どもがいない時間をできるだけ長く取ることで、様々な準備を集中して行うことができます。

 

かつては学校は、学校ー家庭ー地域の「信頼関係」で成り立っていました。今は「法」が先行する時代です。それはとても残念なことですが、訴えられた学校が「信頼関係の下でやっていました」と言っても認められません。信頼関係はもちろん大切ですが、それはしっかりした土台=適法な条件整備の上で育まれるものだと思います。子どもの登校時間の適正化を望みます。

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【具体策8】通知表を年1回にする

私が校務の中で、最も負担が大きいと感じるのが「通知表」です。「評価がなくて教えっぱなしならどんなに楽か」と何度思ったか分かりません。

通知表は公簿ではありませんから、出すも出さないも校長の任意です。もっと言えば、通知表に何を書いて何を書かないかも校長の任意です。所見なしでもかまいません。各学期の終わりに出さなければいけないという規定ももちろんありません。例えば2学期制だから2回とか、3学期制だから3回ということもありません。3学期制で2回でもよいです。

通知表の問題は「コスト」と「リスク」のダブルの負荷があることです。

まず、「コスト」の話をします。通知表の目的は、子どもたちの成長を保護者に伝えることですが、それを「通知表」という型に押しこめるところに大変なコストがかかります。通知表ではなくもっと効率的な方法で、子どもたちの成長を伝えられればその方がよいです。

通知表を年1回にすると、子どもたちの学びの進捗をどのように伝えればいいのでしょう。私は、懇談会で伝えればいいと思います。通知表の評価のソースは、主にテスト、プリント、ノート、作品、発言や行動、アンケート(自己評価)などです。これらのソースを数値化して、最後に「1・2・3」「A・B・C」などの記号に変えます。そのままであれば分かりやすいものを見えにくくしています。手間と時間のコストが異常に高いのに、出力されたもののパフォーマンスが低い。特に3段階評価の「2」「B」は幅が大きく、その子の力を的確に伝える力をほぼもちません。だったら、もともとの豊富なソースをそのまま保護者に伝えた方がよほど伝わります。つまり懇談会で、「テストの点数はこうでした」「ノート(現物)はこのような状態です」「この絵(現物)にはこんなふうにとりくんでいました。」と伝えれば保護者もよほど子どもの成長も課題も分かります。親が気になるのは、実は「自分の子どもがクラスの中でどんな位置にいるか」(相対評価)かもしれませんが、学校が行う評価は絶対評価ですから、ありのままを伝えれば説明責任は果たされます。

次に「リスク」の話をします。学校が多忙なのはいろいろな取り組みを安易に取り入れすぎたということに尽きますが、取り組みを増やすと、リスクも増えているということに気づいている人は少ないです。例えば、子どもたちの体力を向上させようと、ランニングの時間を取り入れると、子どもが怪我をするリスクが増えます。心臓発作のリスクも抱えます。また例えば、日記を書かせると、担任は朱書きを書かなければいけません。休み時間に子どもたちの様子を見る時間が減ります。子ども同士のトラブルが発生するリスクが高まります。保護者から「子どもが習った漢字を使うように指導してください」などとクレームが来るリスクも増えます。

ちょっと遠回りになりましたが、通知表は「客観性」「公平性」という意味で、保護者の期待が高く、それに伴うリスクも非常に高いです。保護者から「なぜうちの子の国語の成績が2なのか?」と聞かれた時のために、説明できるための資料をしっかり残さなければいけません。それが20年に1回のことであっても、毎学期毎学期資料を準備します。もしも、保護者の追及に答えられなかったら、学校の信用は失墜します。その高いリスクに備えるために莫大なコストが発生しています。評価基準、補助簿などを準備し、評定・所見を学年主任、教務、管理職がチェックする必要が生じます。そもそも学校には通知表のリスクを管理するだけの力(人的・時間的余裕)はないと思います。実力以上のことをするから大変なのです。

もしも日本の義務教育に、成績不良による原級留置(落第・留年)があるのであれば、私は「各学期に出すことも止むを得ず」という考えをもつかもしれません。3学期の最後に、いきなり落第宣告は厳しいです。しかし、原級留置は制度上は可能ですが、現実問題としてはありえません。また、通知表を年1回にして問題があるとすれば、高校入試の際に、評定の提出を求められる場合があり、それを通知表の評定で代替してる場合があるということです。これについては、高校入試の制度の方で中学校に負荷をかけない改善をすべきでしょう。

ところで、通知表は公簿ではありませんが、指導要録は公簿です。教科・特別活動等の評定、学習・行動・特別活動・総合的な学習の時間・道徳・外国語活動の所見を記録として残さなければいけません。私は、年度末にこれら指導要録の記録をそのまま通知表として、伝えればいいと思います。開示請求される前に、こちらから公開しているのですから、透明性も申し分ありません。

私が文部科学省の教員勤務実態調査(2017)を分析した結果では、通知表を年に1回にすることによって月当たりの時間外勤務時間を6〜7時間縮減できます学期末には20時間以上の削減が期待できます。リスクの低下による、心理的な負担の軽減もかなりのものになります。しかも、各学期の懇談会で、担任は保護者に伝える情報が豊富にあり、保護者も子どもの様子がよく分かるというWIN-WIN-WIN-WINの具体策と思いますが、いかがでしょう。

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【具体策7】教員免許更新制を見直す

私は今年、教員免許更新をしなければいけません。放送大学を選択し、今まさに講習を受けているところで、ブログの更新が滞っているのはまさにこれが原因です。

多忙な中、時間を見つけ、講義を視聴しているので、当然、批判の気持ちが強く湧き出てくるわけですが、講義そのものは非常に面白いです。しかし、これをもって「その時々で求められる教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指す」という制度のねらいが達成されているとは思えません。ここでは詳しく述べませんが、表向きの制度のねらいとは違う、別のねらいがあるから、こんな無理な制度があるのではないでしょうか。教員のなり手を減少させているというデメリットを考えると「廃止」が相当と考えます。 ただそう簡単に廃止とはならないでしょうから、「存続」を前提として少しでも負担がなくメリットの生きる方法を考えてみます。

一つ目は、【具体策1】でも述べた「研修に年間35時間程度の上限を」という提案どおり、免許更新を受講する教員はその年度、校内外のすべての研修を免除するという案です。これは、校長裁量でできるので、非常にハードルが低いです。そもそも、「スクラップ&ビルド」という働き方の基本から考えれば、教員免許講習というビルドがあった時に、何かのスクラップが必要だったのです。教員免許講習は勤務時間外の自己都合の研修になりますが、通常の研修も時間外に行わなければならない現状を考えれば、そのような運用上の配慮はあって当然と考えます。

二つ目は、免許更新に必要な単位認定の緩和です。教員免許更新制は、教育職員免許法に基づく制度で、法律を改正するのは時間がかかります。ですが、免許の認定に必要な講習の要件は文部科学省令で定められますから、これを緩和することは法改正よりは簡単です。具体的には現職教員は学校内のOJTで単位を取れるようにすればよいです。1月29日に行われた「学校における働き方改革推進本部(第1回) 」柴山文部科学大臣 冒頭あいさつでも「教育課程や教員免許などの教育制度も必要に応じて、大胆に緩和などの見直しをする必要がある」と述べています。年間5コマ程度の授業を管理職等に参観され指導してもらえば単位を認定できる制度にすればお金も時間もかかりません。免許が失効している人も5時間の参観・指導なら1日で取り戻せます。

免許更新は10年目で、来年からは2周目に入ります。2周目に入ってしまうと「ではあと10年」となりますので、何とかこのタイミングで改正があることを強く望みます。学校の持続可能性にとって、免許更新制が大きな抵抗になることが明らかな今、柴山文部科学大臣の「大胆な緩和」が真に意味ある形で行われることを強く望みます。まさか「誰にでも免許を与える」ような緩和ではないと思いますが・・・。

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