学校の働き方改革「10の提言と50の具体策」

持続可能な学校をつくるための具体的な提案

【ポストコロナの学校改革13】多様性と向き合う①

大きな駅に緑のトイレができて久しいです。車椅子の方も、赤ちゃんを抱えた方も使いやすい構造になっています。トランスジェンダーの方も安心して使えます(マツコが青と赤とどちらのトイレに入ればいいか悩まなくてよいという意味です)。私の住む富山県では、高校入試の願書に男性、女性を書き入れる欄がなくなりました。
多様性に適応しようと社会が動き始めています。
学校はどうでしょう。
 
「みんな違ってみんないい」
3年生の国語の教科書にある金子みすゞの「私と小鳥とすずと」にある一節です。
 
教員が子どもたちにこの言葉を引用して話をすることもよくあるようです。
その話の趣旨は、一人一人違うのだから、その違いを認め合うことが大切である。ということになるでしょう。
しかし一方で、教員は「服装はこう」「廊下を歩く時はこう」「授業中の姿勢はこう」とあらゆることを細かく型にあてはめようとします。
 
大人のこういう矛盾を、自分が子どものと時は「言っていることとやっていることが違う」と冷めた目で見ていたのに、大人になると、子どもたちを同じように説得しようとしているのは典型的な「先生あるある」「大人あるある」です。
 
まず、学校はなぜここまで画一性を求めてしまうのでしょう。
それはこれまでのブログでも繰り返し述べてきたように、限られた数の教員で、大量の学習内容をさまざまな個性をもった子どもたちに教え、かつ高校受験という義務教育の出口に備えるために、学力向上を成し遂げることが最大の使命になっているからです。そして、その使命を果たすためには、同調圧力や時には理不尽な校則を使いながら同じ型に当てはめていくことで、問題行動を抑制しなければいけないからです。
多くの先生が心の中で「どこか人間的でない」と気づいているのですが、この多忙な学校現場で使命を遂行するためにはそれ以外の選択は思い浮かびません。
 
ここ15年ほどで発達障害など特別支援に対する指導法は急速に発展しました。しかし現場は苦しいです。学校のベースが画一性を強く求めているため、個性の強い子も一定程度枠に納めたいという意識が払拭できないからです。「みんな違ってみんないい」にはなかなかなれません。
 
一方、社会はますます多様性を受け入れる方向に傾いています。
 
「障害者差別解消法」「インクルーシブ」「合理的配慮」「SOGI(性的マイノリティー)」「ダイバーシティ」「個別最適化」・・・
 
多様性を認める概念が急速に広まっています。コロナによって今までの常識が崩れたことも、意識改革を加速させるでしょう。学校内外からも、ブラック校則など画一性のデメリットを指摘する声が高まっています。
 
しかし学校の多忙は限界を超えています。もしこのままの状態で「多様性」を受け入れたと想像すると様々な混乱が予想されます。
 
とても乱暴な子がいたとして、これも多様性だと受け入れるのか。
授業中、「私は国語と算数しか勉強しません」と言って他の教科はマンガを読んでいる子をそれも多様性と受け入れるのか。
服装は何でもよいのか。学校にゲームを持ってきてもよいのか。廊下を走ってもよいのか。校則はなくてもよいのか。
規律を失った教室で学級崩壊が発生し、学習が進まなかったらどうするのか。
「クラスの困った子を何とかしてほしい」と保護者が苦情を言ってきたらどう対応するか。逆に、さまざまな個性に対して、なぜ認めないのかと迫られたらどうするか。
教員自身も多様であってよいのか。「勉強は教えられるが生徒指導はムリ」「部活なら全力でやる」という教員を認めるのか。認めないというのであれば、そもそも多様性を認めていないということになるのではないか。
 
やや極端な例で示しましたが、多様性を受け入れるということはそういうことだと思います。日本の教育は「慣性の法則」が強く、画一性から脱却する方向にはなかなか向かないでしょう。世の中が「多様性」に向かう中で、間違いなくその軋轢に苦しむことになると思います。
 
今後、問題になるだろうことを3点にまとめてみました。
 
(1)大量の学習内容と多様性の両立
(2)問題行動や不適応と多様性の境界
(3)教員の多様性
 
さて、私なりに、この(1)(2)(3)の3点に一通りの答えはもっています。それは次回以降にお示しします。私も多様性については勉強中で、ご意見をいただきながら考えを進化させていきたいと考えています。例えば、「多様性と画一性は対義語ではない」と言われたらまた一から考え直します。
おそらく「正解」はありません。大切なのは、いろいろな考えがあり、そこで対話をしながら「適正解」を求めていく過程にあるのだと思います。正解に凝り固まること自体が多様性でないからです。
 

【ポストコロナの学校改革①】学校制度のボトルネック

 

【ポストコロナの学校改革②】平成30年間の学校教育の変質

 

【ポストコロナの学校改革③】学校が抱えた保護者の監督責任

 

【ポストコロナの学校改革④】いじめを防げない学校のボトルネック

 

【ポストコロナの学校改革⑤】学校の働き方改革と子どもの学びの両立を

 

【ポストコロナの学校改革⑥】未来に生きる力を育てる

 

【ポストコロナの学校改革⑦】「自ら学ぶ子ども」をどうやって育てるのか 

 

【ポストコロナの学校改革⑧】脱「日本型学校教育」〜教員の本来業務に集中できる環境を〜

 

【ポストコロナの学校改革⑨】学校は何を教えるところか

 

【ポストコロナの学校改革⑩】幸せをもたらす教育施策

 

【ポストコロナの学校改革11】部活動改革への提言

 

【ポストコロナの学校改革12】授業革命が起こる

 

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