学校の働き方改革「10の提言と50の具体策」

持続可能な学校をつくるための具体的な提案

【ポストコロナの学校改革⑦】「自ら学ぶ子ども」をどうやって育てるのか

子どもたちに「自ら学ぶ力」がついていないことを突きつけたのは、コロナの長期休業でした。休校の間、自分の興味や関心のあることについて勉強をすすめることができたのはごく一部の子どもたちだけでした。平成の教育が目指してきたのは、自ら学び、自ら考える子であったはずなのに、結果は「惨敗」と言ってもよいでしょう。
 
これについては「総合的な学習の時間」(以下「総合」)の中で、探求する力を育ててこれなかった学校教育に責任を求める声もありました。
 しかし、学校で探求力をつけることは容易なことではありません。
例えば、5年生を対象に「米」というテーマで探求型の学習をしたとします。
「世界にはどんな米があるか調べたい」
「お米のおいしい炊き方を調べたい」
「稲の生長について調べたい」
「稲作農家の仕事について調べたい」
などのテーマが生まれ、一人一人が自分の課題を決めたとします。(実はそこまでいくのも簡単ではないのですが行けたとします)
まず図書室に行って、本を探してみるもののそれに合致する本にたどり着けることは稀です。
次に図書館に行ったとして、司書の方にお願いすれば、かなりの確率で本を手にすることができます。しかし多くの場合、子どもには理解できない高度な内容の本が届くことになります。
コンピュータ室でインターネットから情報を得ようとしても、検索ワードで絞り込む経験のない子どもたちはなかなか目的の情報にたどり着けませんし、ようやくたどり着いたとしても子どもの読解力に合わない情報が圧倒的です。
そこで発生するのが「1時間、何も成果がなく終わった」という厳しい現実です。そうならないためには教員の相当な下準備が必要になります。事前に図書館から関連した本を取り寄せておいたり、コンピュータに適当なサイトのリンクを貼っておいたりします。これを何十人の子どもたちに対応してやらなければいけません。一方でそれをがんばればがんばるほど、問題解決で育てたい大事な部分を子どもたちから奪ってしまうというパラドックスです。
例えば、子どもが親に「〇〇について研究したい」と言った時に、親が子どもの探究力を育てるためにどれだけの時間をかけて寄り添わなければいけないかと想像すれば、それを同時に何十人に対応することが極めて困難なことはご理解いただけると思います。
 
「自ら学ぶ力」を高めるためは、まず子どもの興味・関心に寄り添うところからスタートしなければいけません。多人数への一斉指導を基本とする日本の学校教育とはそもそも相入れません。結果として、教員の敷いたレールの上で探究をすすめるような設定にせざるを得ないのです。
 
さて、そのような中、今こそ注目してほしいと思うのがプロジェクト型学習です。

プロジェクト型学習とは、最終ゴールを設定し、その実現に向けて発生した課題を解決する学習方法で、平成12年に「総合」が始まった時から、一つの方法として確立されています。最近はPBL(project  based learning)という呼び方でも注目されています。
 
私が実際にやってみたプロジェクト型学習に「縄文キャンプをしよう」(小学校6年生)というものがあります。子どもたちは「家づくり」「火起こし」「料理」「土器づくり」のグループに分かれ、一泊のキャンプに向けて準備をしました。3か月ほどの準備期間を経て、自分たちで作ったわらぶきの家に一泊するという経験をしました。自作の手回し火起こし器による着火は残念ながらできませんでしたが、自分たちで川で手づかみした魚を民族資料館でもらった黒曜石でさばいて焼いて食べ、校庭から掘り出した粘土で実際に焼いた土器で水を飲みました。もちろんここまで行くには、担任のかなりのサポートが必要でした。授業を行うために4グループ分の準備が必要でしたし、自分自身が勉強する必要もありました。2時間続きの総合の時間の間、子どもたちがグループで分かれている教室、図工室、理科室、図書室などを行ったり来たりしました。学習に空白が生じてしまうこともありましたし、グループで意見が合わず険悪な雰囲気になっていることもありました。しかし、子どもたちの学びの手応えは確実にありましたし、最後に一泊できたという達成感は何にもかえがたかったです。
実はこのプロジェクト型学習は低学年でも可能です。生活科で「お祭りをしよう」という学習があります。魚釣り、迷路、色ぬり、ボーリングなどのいろいろなお店を作って、2年生が1年生を招待するのです。これも子どもたちが主体となった学びが展開されます。
最近、ニュースで見たのは、福井の中学校3年生が例年通りの県外の修学旅行に行けなくなったために、自分たちで一から計画して、県内の修学旅行を行ったという実践でした。そこには、コロナ感染を防ぐために専門家から意見を聞き、バーベキューを断念する姿がありました。子どもたちが作り上げたコースは、100m走で桐生選手が9.98秒を叩き出した「9.98スタジアム」でのリレーから始まり、福井県内の観光スポットをグループに分かれて巡り、県内の温泉旅館で1泊するというものでした。画面に映し出された子どもたちの笑顔は、従来型の修学旅行では見られない輝きをまとっていました。
 
このようなプロジェクト型の学習がなかなか行われない背景には、学習指導要領で教える内容の増加があることは否定できないと思います。
一時期、強い批判を受けた「ゆとり教育」ですが、実はPISAの学力調査の結果をよく分析すると「ゆとり教育」を長く受けていた年代の方が、活用力の指標である「読解力」において優秀である傾向が明らかです。
この読解力は直近のPISA2018で15位(前回8位)と大きく後退しました。このPISA2018の対象となった昨年の高校1年生は義務教育の9年間のうち7年間を「脱ゆとり」の平成20年学習指導要領で学んでいます。移行期間も合わせると9年間丸々「脱ゆとり」教育を受けてきた子らです。
この間、教壇に立ってきた身とすれば、教えることが多すぎて、「いかにこなすか」に腐心させられた厄介な指導要領です。
令和2年度から小学校で運用されている平成30年度学習指導要領はさらに教える内容を増やしました。このままでいけば「生きる力」を伸ばすことはさらに難しくなるでしょう。文部科学省は「主体的、対話的で深い学び」を推進すれば、内容が増えても活用力は育つという論をゴリ押ししています。前回の平成20年学習指導要領では「言語活動の充実」がスローガンでした。これが失敗したことはPISA2018の結果からも明らかです。
 
プロジェクト型学習のよさは、ゴールに向けて何をしなければいけないかを考えた瞬間から、子どもが学びの主体者になることです。またそこには他者との協力や対話、折り合いをつける体験などが自然に発生します。これは今後社会で求められる「付加価値を生み出す力」に直結するものだと思います。
しかし、前述の「縄文キャンプをしよう」で紹介したように、教員の負担は小さくありません。
学習指導要領で定められた教える内容が多すぎることも、教員が授業準備の時間がないくらい多忙なことも、導入の足を引っ張る大きな要因です。
つまり、プロジェクト型学習が効果的だとしても、それは、学校の働き方改革やカリキュラムの見直しと同時にすすめていかなければ実現は難しいということになります。
また、仮に導入の条件が整ったとしても、これらの学習が「学びの格差を生まないか」「誰一人取り残すことなく学べるか」「自己責任論を強化しないか」「同調圧力が学びを阻害していないか」などの点検は必要です。
 
ちなみに、このプロジェクト型学習は「総合」に限らず、様々な教科で実践が可能です。私がこれまでに実践した例を紹介します。
国語「スーホの白い馬」(小2)
「病院のおじいちゃんおばあちゃんに朗読を聞かせよう」という課題で、心をこめた音読練習を重ね、病院の待合スペースで入院中のお年寄りに音読発表をしました。涙を見せるお年寄りの姿に子どもたちは強い手応えを感じていました。この実践をして驚いたのは、市販のテストで、一人が95点だった以外は100点だったことです。音読以外何も勉強していなかったのですが、実生活と結びつくことで、力強い学びが発生していることを実感しました。
社会科「スーパーマーケット」(小3)
大阪屋という学校の隣のスーパーマーケットに見学に行った際に、店長さんに「大阪屋がもっとお客さんに喜ばれるようなアイデアを私にください」と言ってもらいました(もちろん事前の仕込みです)。子どもたちは他店との値段の比較や品質のチェックなどをして、アイデアをまとめていきました。保護者の話では、家に帰ってからも大阪屋のチラシを眺めながら「もっといいスーパーになるにはどうしたらいいかなあ」と考えていた子もいたそうです。
このように、学びを子どもたちにシフトすることで、パワフルな推進力が生まれることを実感できます。ウェブで調べればもっと素晴らしいいくつもの実践があると思います。
 
さて、このような学習を繰り返したとしても、長期の休校の中で、自ら学べる子どもに育てられるという保証はありません。しかし、子どもたちに「与えて」「与えて」「与えて」「与えて」「与えて」の学習では、未来を生きる子どもたちが必要とする力はつけられないこともまた自明です。

保護者にも意識改革が必要です。本来、家庭学習は学校ではなく保護者の守備範囲です。保護者も学校から与えられることに慣れ過ぎて、「自ら考え」子育てをすることから逃げていないでしょうか。

全体が「主体者」となるような改革の中で、自ら学ぶ子どもたちが育つことを期待します。
 
ポストコロナの学校改革は「部分」を変えるマイナーチェンジではく、大きな目標に向けて全体を変えていくフルモデルチェンジになります。今回は極めて部分的な「プロジェクト型学習」について述べましたが、私はこれが学校の心臓部分にかなり近いのではないかと思っています。

 

【ポストコロナの学校改革①】学校制度のボトルネック

 

【ポストコロナの学校改革②】平成30年間の学校教育の変質

 

【ポストコロナの学校改革③】学校が抱えた保護者の監督責任

 

【ポストコロナの学校改革④】いじめを防げない学校のボトルネック

 

【ポストコロナの学校改革⑤】学校の働き方改革と子どもの学びの両立を

 

【ポストコロナの学校改革⑥】未来に生きる力を育てる

 

【ポストコロナの学校改革⑦】「自ら学ぶ子ども」をどうやって育てるのか 

 

【ポストコロナの学校改革⑧】脱「日本型学校教育」〜教員の本来業務に集中できる環境を〜

 

【ポストコロナの学校改革⑨】学校は何を教えるところか

 

【ポストコロナの学校改革⑩】幸せをもたらす教育施策

 

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