学校の働き方改革「10の提言と50の具体策」

持続可能な学校をつくるための具体的な提案

【ポストコロナの学校改革②】平成30年間の学校教育の変質

 今回は、平成の30年間でどのように学校が変質していったかを示します。「何が起こったのか」ではなく、それがどんな意味をもつのかを深掘りしているため、かなり長文になりますが、これからの学校の制度を考える時に、過去の検証は必須です。同じ轍を踏まないようにするためにも、一教員の目から見た平成の30年間におつきあいください。

 

学校の転機となった校内暴力

 昭和の終盤、1980年代に発生した校内暴力は学校制度の根幹を揺るがす大事件でした。教員が子どもたちから暴力を受け、中学校の校内をバイクが走るという信じがたい現象ですが、学校の制度から考えれば必然です。そもそも子どもたちには教員に従う義務はなく、それまでゲンコツで押さえられていたものが、腕力なら自分たちの方が上と気づいた子どもたちが反抗したのです。つまり学校の秩序維持の脆弱性が露骨に顕在化したのです。

 この時、学校は警察の力を極力借りずに教員の努力によってこれを鎮静化させました。警察の力を借りなかったのは、子どもたちを警察に突き出すことは、教え子を犯罪者にするということだからです。それはとりも直さず学校教育の敗北を意味しました。そこから何年もかけて、腕力ではなく子どもたちとの信頼関係を強めることで、子どもたちの荒れを抑えるという選択をしました。これ自体は理想的な方法でしたが、失うものもありました、それは、脆弱な秩序維持システムの再構築のチャンスを逃したということです。この時に、警察や行政と連携して、例えば物を壊した時は行政の担当者が保護者と面談するとか、暴力行為によって怪我をさせた場合には警察が本人と面談するなどのルールづくりをするという方法もあったのです。普通に考えれば、傷害行為や破壊行為は警察が対応することが相応ですが、感情が制度を上回る学校では教え子を犯罪者にしないという理論が勝ってしまいます。

 この時から学校は、学校の秩序維持信頼回復という大命題を丸抱えすることになります。保護者の力に頼らず、地域の力を取り入れるでもなく、警察をはじめとする行政の力と連携することもなく、学校だけの力で子どもたちを育てようという方向です。子どものためなら時間を惜しまずにやるべきという風潮も強くなります。またこの時に活躍した体育会系の教員がリーダーになり管理職に多く登用されていったことも、教員の情熱にたよる学校運営を加速させました。

 

学校のサービス意識と隠蔽体質

 私が教員になったのは平成元年のことでした。小学校の教員です。当時は、若い男の先生ということで、保護者の間に「うまくできないこともあるだろうけど大目に見てやろう」という雰囲気がありました(当時は分かりませんでしたが今思うと許容幅が広かったです)。学校には若い世代の先輩が多く、「もっといい教育をしたい」という情熱が職員室にはありました。私自身も授業研究をよくしたし、学級通信を年間に100号発行するなどいわゆる熱血教師だったと思います。教員の自主性、創造性が生かされる時代であり、「感情が制度を上回る」ことがプラス面に働いてしまった時代でした。やる気を前面に出すことで、多少の失敗は保護者に大目に見てもらえることを戦略的に期待している部分もありました。ここで私の中に発生したのが学校サービスの向上という意識です。それは個人の中だけでなく、職員室の「空気」として確かに存在していました。

 学校の信頼確立・信頼回復は、学校サービスの向上という形で発展し、行事の肥大化、ショー化が進んでいました。運動会の入場行進での一糸乱れぬ姿、学習発表会でのハレの姿、卒業式での最高に高まった姿・・・見える部分の強調をするようになります。よい面を見せて信頼を高めておけば何かあった時の担保になるという心理も多分にあったと思います。逆に、見せたくない部分は極力見えないようにするという心理が働きます。多少の問題が発生してもできるだけ学校内部で処理するという「空気」も確実に職員室にありました。悪くいえば隠蔽体質でした。

 私は子どもに暴言を吐かれた経験があります。授業中に、せせら笑うように「バーカ」と言われましたが、私はそこで指導し切る自信がなく、それを受け流しました。私はそのことを同僚にも保護者に伝えませんでした。保護者も我が子がそのような状態であることは知っておきたいかもしれないし、学校と保護者で共通理解して指導すればよりよい子どもの成長につながったかもしれません。しかし、私の中には、「子どもに暴言を吐かれるような教員であることを知られたくない」「親に告げ口をするようで指導者として情けない」という心理が働き、保護者には知らせないという選択をしました。よいところはアピールし、見られたくないところは隠すという心理は、職員室全体にも個人の中にもあったのではないかと思います。

 

子どもたちの変化「学級崩壊」

 平成の初め頃、先輩の先生方が「子どもが変わった」と口にするのをよく聞きました(もしかしたら、それは家庭用ゲーム機の普及によるものではないかと推測もできますが、これは賛否あります)。子どもたちの問題行動は校内暴力に見られる反社会的なものから、落ちこぼれ、不登校、いじめ、無気力・無関心という非社会的なものに変わっていきます。

 1998年(平成10年)N H Kクローズアップ現代で「学級崩壊・小学校で授業ができない」が放送された頃から、学級崩壊が社会問題になりました。私のクラスは崩壊まではいきませんでしたが、学級運営のやりづらさはいつも感じていました。授業中に歩き回る子はいないものの、授業中の私語が止まらなかったり、指示を無視したり、言い返したりする子への対応にずいぶん悩みました。学級の雰囲気がよくないといじめなどの問題も発生しやすくなり、保護者に電話をかけては謝罪する日々もありました。

 この頃から、学校で生じた問題は学校の責任という考え方が強くなっていきました。授業妨害をしたり、学校の施設を壊したりする行動は、法令上は「出席停止」の要件ですが、その原因を担任の指導力不足に帰着させる考え方が強くありました。また保護者も「学校で起こったことは学校の責任」という意識を強め、次第に学校教育の「傍観者」になっていきました。

 学級崩壊や、崩壊まで行かなくても落ち着いた授業が成立しづらいという状況は、今も学校の深刻な問題として存在し続けています。しかし、これに関する統計調査を国で行っていないことや、学校のよくない部分は外部に見せたくないという心理が、これらの問題を見えにくくしています。また、子どもへの強制力がない中で教科指導と生徒指導を一人で同時にやるというアクロバットが学校の常識であり、それができない人は指導力不足と片づけられてしまうため、抜本的な解決に向かわないことも問題を根深くしています。これは個人の力量の問題ではなくシステムの問題です。

 

安全管理義務という重責

2001年(平成13年)には男が包丁を持って学校に乱入し、子ども8人を殺害する附属池田小事件が起こりました。この事件に伴い、学校では避難訓練に不審者侵入が加わり、警察などの協力も得ながら、訓練を行いました。刺又が学校に配備され、それを持って不審者役の警察官と対峙しましたが、凶器を持った正常な思考ができない大人から子どもたちを守るのはほぼ不可能であるという無力感を感じました。この時から外部侵入者からの子どもたちを守る安全管理義務という重責が学校にのしかかることになりました。本当なら、この時にすべての学校に警備員を配置するくらいの予算が学校についてもよかったはずですが、お金のかからない「刺又」と「避難訓練」で済まされました。このように人は配置されずに責任や負担だけが増えるという施策が平成にはいくつも出現します。

 

平成半ばから始まった急激な教育改革

 2002年(平成14年)からの教育の大改革は教員の負担を際限なく高めていきました。この年に行われたのは、学校週5日制、「ゆとり教育」の開始(学習内容の3割削減、「総合的な学習の時間」の導入など)です。どちらも子どもたちや教員にとって望ましい改革のように思えますが、実際には様々な混乱を招きました。

 まず、学校週5日制によって土曜日に子どもを地域で育てる環境を作らなくてはいけないという気運から、学校と地域の連携が叫ばれるようになりました。「開かれた学校」というスローガンのもと、学校に地域の人材を招き入れ、地域の行事に学校も積極的に参加するというとりくみが始まりました。子どもたちのためにと始まった休日のイベントに教員が子どもたちを連れて参加するのが当たり前になりました。イベント参加のための指導は学校で行うことになり、時には授業をつぶしてその練習をするというようなことが行われました。イベントの中には、主催者だった地域の担当者がだんだん参加に消極的になり、いつの間にか学校主導に近い形になったものもありました。給特法があるために、休日の参加に対して時間外勤務手当が支払われず、善意での参加になりました。その不条理も「子どもたちのため」と感情が制度を上回る学校の特性によってうやむやになっていきました。この頃から管理職は「地域あっての学校」という言葉を多用し、「地域にお世話になっている以上、休日のボランティアなど当たり前」のような言い方をするようになりました。私からすれば年に1回あるかないかの外部講師の代償として、何回土日を潰してイベントに参加しなければいけないのかという釈然としない気持ちでした。こうして、学校は社会教育の世話まですることになりました

 

学校バッシングの風

 学校が様々な要求を受け入れざるを得なくなる原因の一つに学校バッシングの風潮があります。話が前後しますが、平成3年にバブルが崩壊した時、地元の知り合いが「週2回しか出勤させてもらえない」とこぼしていました。相当の減給があったと思います。リストラに遭った人は直接は知りませんが、全国には少なくなかったと思います。民間の厳しい環境によって、公務員バッシングの風が強まりました。特に教員へのバッシングは強く、他の職業ではニュースにならない不祥事が大きく報道されました。

 こうなると学校はさらに守りに入ります。保護者の要求にはできる限り応じ、行事では子どもの活躍が目に見えるように練習に一層力が入り、部活動も加熱化していきました。また、社会全体の人権意識も高くなり、徒競走ではゴール前で手をつないで一緒にゴールしたり、劇の中でシンデレラが10人だったり、多様な考え方への対応に苦慮する姿がありました。

 そして、2002年(平成14年)に、文部科学省から夏休みに教員の研修を増やすよう通知が出ます。理由は、「夏休みの平日に教員が家で洗車をしている」という新聞投稿があったからと聞きます。通知には「今日、教育行政においては、その透明性を高め、公教育に対する地域住民や保護者の方々の信頼を確保することが益々重要」「夏季休業期間の教員の勤務状況について地域住民や保護者等の疑念を抱かれないことはもとより、この休業期間を教職員の資質向上等に有効に活用し、情報公開等においても十分理解を得られるよう、勤務管理の適正を徹底することは極めて重要」(下線筆者)と書かれており、学校バッシングの強い風とそれを恐れる行政の姿勢が読み取れます。こうして課業期間は多忙で、夏休みさえ十分に休めない働き方が定着していきます。

 

学力向上ブーム

 平成10年学習指導要領の改定によって2002年(平成14年)から導入された「ゆとり教育」は「学習内容の3割削減」という文部科学省の声高な宣言(実際は3割も削減されたわけでなはい)によって最初から強い逆風が吹きました。開始からわずか1年後、2003年(平成15年)のP I S A調査で日本の順位が下がったことでまだ始まったばかりのゆとり教育に急ブレーキがかかりました。「学習指導要領は最低基準」という方針が打ち出されました。決定打となったのが、2006年(平成18年)のP I S Aショックです。数学6位(前回2位)、科学10位(同6位)、読解力15位(同14位)と2003年からさらに下がったことで、反ゆとり、脱ゆとりの声が高まり、2007年(平成19年)からは全国学力・学習状況調査が行われました。この調査で国は都道府県別の結果を公表し、全国の学校関係者に衝撃が走りました。ここから全国一斉の学力レースが始まったのです。私の勤務する富山県でも学力向上のための研修が始まり、市町村毎の対策、学校毎の対策など、異常なとりくみが始まりました。今まで読書や運動に使っていた時間をプリント学習に充てたり、宿題を増やしたりしました。そのために教材を準備する時間が増え、回答のチェックや採点、やり直しの時間などを確保するのに苦慮しました。競争によって行政は正常な判断ができなくなり、なりふり構わない姿を恥ずかしげもなく世に晒しました。

 この後2009年、2012年、2015年とこのPISA調査の順位はV字回復を成し遂げました。P I S Aの出題傾向に合わせた活用問題を出してテスト慣れさせた成果でしょう。この時、2006年当時に読解力が1位だったフィンランドをすでに抜いているのですから、普通ならここで学力向上への取り組みは終わってもよいはずです。しかし、レースは都道府県対抗にステージを移しており、競争は永遠に終わりません。

 

保護者が「パートナー」から「受益者」に

 平成の中頃から「アカウンタビリティ」「説明責任」という言葉が学校内外でよく聞かれるようになりました。その頃は、社会全体にも「説明責任」を問う風潮が高まっていました。スーパーマーケットや病院に「お客様の声」コーナーが設置され、クレームの声とそれに対する対応策や謝罪が掲示されました。

 学校も税金で運営した成果を公表すべきと学校教育法が改正され、学校教育法施行規則には、学校の自己評価、保護者など学校関係者による評価を行うことが示されました。例えば、保護者向けのアンケートに「学校は子どもたちに分かりやすく勉強を教えていますか」、子ども向けのアンケートに「先生は子どもの相談にのってくれますか」などの質問をし、集計し、公表するというものです。当時は「また仕事が増えたか」くらいにしか思っていませんでしたが、今思えば深い部分で学校と保護者の関係を変えました。これによって、かつて学校と共に子どもたちを育てる「パートナー」だった保護者は、平成の初め頃から「傍観者」となり、平成半ばからは「受益者」へと立ち位置を変えていったのです

※誤解のないように付記しますが、今も多くの保護者は「パートナー」なのです。ただ、全体的な傾向として、傍観者的な意識(学校での子どものことは学校がやってくれる)を強めておられる方、受益者的な意識(学校は子どものことは何でもやるべき)を強めておられる方が増えてきたという意味です。

 「モンスターペアレント」が流行語になったのも同年です。多くの保護者は「モンスターペアレントなんて許せない」「自分はモンスターペアレントにはならない」と言っていましたが、過剰な要求はしないまでも、受益者意識は確実に浸透したと思います。

「もっと宿題を出してほしい」「もっと部活動をやってほしい」「朝早く登校させてほしい」という要求は、家庭での養育時間を短縮し、学校の長時間労働を助長しました。

「ゲームばかりして困っています。先生からも注意してください」

「近所の子の自転車の乗り方が危ないのですが、学校で指導しないのですか」

「家に遊びに来た子が、玄関で靴も揃えないし、おやつを出してもお礼も言いません。学校で友達の家に遊びに行く時のマナーを指導してください。」

 別にクレーマーでもなくモンスターペアレンツでもない保護者が悪気もなく当たり前に学校に相談(要求)をもちかけます。言い方は低姿勢ですが、「学校は何とかしてくれるはず」という期待に満ちています。

 そして、そのような要求があった時に、学校は「承知しました」とその要求に応えました。私も「それって学校の仕事か?」と多少の疑問をもちながらも受け入れました。その方が、面倒なく、手っ取り早く問題解決ができるからです。「いや、それは学校ではなくてご家庭で指導してください」という説得は時間がかかるだけでなく、下手をすれば大きなクレームを発生させかねません。また、当時の管理職の中には、保護者の要求に先回りして様々なサービスを提供することで高い評価を受けた人も少なくありませんでした。単に仕事が増えただけでなく、クレーム対応、クレーム予防のような「疲弊する業務」が増えました。

 

子どもたちの問題行動と教員の多忙の負の連鎖

 これも私の経験ですが、宿泊学習や運動会など大きな行事や、研究発表会など教員が多忙になっている前後に、子どもたちの問題行動が発覚することが自分にも、周りの先生にも明らかに多いです。養護教諭からも、「先生方が忙しくなると保健室に来る子は増える」と聞きます。忙しくて目が届かない中で、ケンカ、暴力、靴隠し、校内での盗み、いじめなどが起これば教員は事実の把握や指導、事後対応に追われ、負の連鎖です。それだけではなく、教室が静かにならない、教員の指示に従わない、暴言を吐く、教室から出ていくなどの恒常的な問題行動はボディブローのように教員を疲弊させていきます。

 2010年(平成22年)に文部科学省が発行した「生徒指導提要」には、増加し続ける問題行動への対応について示されました。この生徒指導提要は「学習指導要領の生徒指導版」とも言えるもので、学校制度が始まって60年以上経って発行されていること自体、そもそもの教育制度に子どもたちの問題行動への対応が想定されていないことの証左です。しかもそこに示されたのは、「児童生徒理解を深めよ」「望ましい人間関係を構築せよ」「よりよい集団を作れ」「個や集団に応じた指導をせよ」「児童生徒に自己存在感・自己肯定感を与えよ」「自己指導能力を育成せよ」という理想論のオンパレードです。そもそも子どもたちと向き合えないことで問題行動を発生させていると感じている私には言いようのない違和感がありました。

 極めつけは、何かの事件が発生すると関係者が全員集まって対策を行う「チーム対応」が強く打ち出されたことでした。つまり、あるクラスでいじめが発生したとすると、生徒指導主事、クラス担任、学年主任、教頭、養護教諭などが集まって対策を進めるのです。数クラスで授業を自習にして子どもから聞き取りするようなことも発生します。さらに放課後は「ケース会議」といって、関係職員が集まって、子どもの支援や保護者対応について協議します。子どもたちが落ち着かない学校だと、この会議が連日行われることになります。問題が発生したクラスの担任は、多くの場合、単独での指導に行き詰まっていますから、このようなチーム対応は非常に心強いのですが、関係者は長時間労働と強い心労に苦しむことになります。

 本来なら専門の人員を加配すべきほどの状況であるのに、「力を合わせて自分たちだけでやれ」と宣言されたのでした。これも人員はつかずに責任と負担が増える典型的な例です。

 生徒指導提要発行の2年後、2011年(平成23年)に「大津いじめ事件」が起こります。この時に問題となったのは、学校のいじめの放置と隠蔽です。学校の措置は全く許されるものではありませんが、いじめを放置せざるを得ないほど校内で教員に余裕がなかったことは想像に難くありません。自殺に追い込むほどの生徒がいたのですから、通常の生徒指導も困難を極めたでしょう。教員の時間外勤務時間も相当であったと思われます。

 生徒指導提要には、警察との連携という言葉が何度も出てきます。しかし、前述のように「子どもを犯罪者にしたくない」「保護者・地域の信頼を失いたくない」という二重の縛りの中で、何とか学校の中で対応したいと考えてしまう学校の事情を生んだのは学校だけの責任とは私はとても思えません。

 大津いじめ事件から2年後の2013年(平成25年)に「いじめ防止対策推進法」が施行されました。一言で言えば、いじめ防止の責任を明確に行政と学校に位置づける法律になっています。学校では定期的ないじめ調査も始まりました。子どもがいじめ調査に「いじめられている」と答えれば聞き取りを行い、「挨拶をしたけど返してもらえなかった」「こっちを見て笑った」などの訴えに、丁寧かつ慎重に対応していくことになります。学校には「怪我をさせたら30万円以下の罰金」などの「規準と罰」がない世界ですから、一つ一つの事例に白黒の線引きから始めなければならず、困難を極めます。安全配慮義務責任とそれに対応するための負担がますます高まっていきました。

 唯一、問題行動への支援として、近年、スクールカウンセラー(S C)と、スクールソーシャルワーカー(S S W)が全校に配置されていますが、S Cは週1回4時間、S S Wは月1回4時間程度の頻度であり(地域によって異なる)、いつ問題行動が発生するかわからない学校では活用が十分にできていないことが指摘されています。

 2013年(平成25年)からは「脱ゆとり」を掲げた学習指導要領の運用が始まり、小学校では高学年で外国語活動が始まりました。英語の教員免許がない小学校の教員が英語を教えることについて、現場からは反対の声が上がりましたが、文部科学省の「学級担任ががんばる姿を見せてモデルとなり学び方の手本となる」というこれまでの教科指導の考え方を無視した論に封じこまれました。ここでも、授業の増加に伴う人的措置はありませんでした。

 2020年(令和2年)からは、さらに「脱ゆとり」に拍車がかかり、小学校の高学年に英語、中学年に外国語活動が無理やりねじ込まれ、高学年の時間割は週30コマすべて埋まりました。年間1015コマは中学生と同じ時間数です。ここにはわずかに英語専科教員を配置しましたが、全国に1万9000校ある小学校に3000人では話になりません。

 問題が生じるたびに対処療法的に施策を追加し「人員がつかないが責任と負担を増やす」行政のやり方は、じわじわと教員を苦しめました。教職員の精神疾患による病気休職者が1999年(平成11年)あたりから急激に増加し、2008年(平成20年)あたりで高止まりしているのは、このような施策による高負荷があったことは否定できないと思います。

 

平成の学校の変質をまとめると、

  • 学校のサービス意識が高まり、行事などのショー化が発生した。
  • 保護者が「パートナー」から「傍観者」「受益者」へと立ち位置を変えていった。
  • 社会教育の範疇まで業務が増えた。
  • 問題が発生するたびに新しい施策が行われ、人員がつかず、責任と負担だけが増えていった。
  • 学力競争や学校評価によって、追い立てられるように対策、対応を余儀なくされた。
  • 子どもの問題行動と教員の多忙の負の連鎖が起こった。

という極めて深刻な状況です。(本当は、これに「特別な支援が必要な子どもの増加」「部活動の加熱化」という重大な事態も並行して生じているのですが、これは別にとりあげます。)

 長い時間をかけて変化したものは、それを是正するのに大変な時間と労力を要します。しかし、それを一気に可能にするのが「非常事態」です。まさに、コロナの今です。例えば、今、「行事のショー化」を一気に是正するまたとないチャンスです。それを分かっている人は、運動会を「ショー」から「学習」に転換していますが、分かっていない人は、感染防止に力を注ぎ、できるだけこれまでの運動会に近づけようとするため「運動会+コロナ」の大負担が発生しています。今、教育が持続可能になるかならないかの分水嶺にあるのです

 

 

【ポストコロナの学校改革①】学校制度のボトルネック

 

【ポストコロナの学校改革②】平成30年間の学校教育の変質

 

【ポストコロナの学校改革③】学校が抱えた保護者の監督責任

 

【ポストコロナの学校改革④】いじめを防げない学校のボトルネック

 

【ポストコロナの学校改革⑤】学校の働き方改革と子どもの学びの両立を

 

【ポストコロナの学校改革⑥】未来に生きる力を育てる

 

【ポストコロナの学校改革⑦】「自ら学ぶ子ども」をどうやって育てるのか 

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