学校の働き方改革「10の提言と50の具体策」

持続可能な学校をつくるための具体的な提案

【コラム10】コロナ×学校の働き方改革③ 〜子どもたちの学びをフルモデルチェンジするのは今しかない〜

3月の休校時に、「だれが子どもを預かるのか」ということばかりが問題として取り上げられて、子どもたちから学習の機会が失われたことがマスコミ上でほとんど問題になりませんでした。「学校に勉強を教える機能はそれほど期待されていない」ということが浮き彫りになり、私にとってはかなりの衝撃でした。
4月に入り、保護者から「学校からプリントしか出ない」「プリントさえ出ない」という声が上がりましたが、それは学習の機会というより、時間をもてあます子どもたちの対応に苦慮しての声が多かったようです。3月の初めから5月の終わりまで、ほとんど学校が休校していた地域と、ほぼ通常通り行っていた学校があり、その格差も、指摘はされてもそれほど大きな問題にはなっていません。
もう一つ、大きな課題として明らかになったのは、子どもたちが自分で学習をすすめる力を学校も家庭も全く育ててこれなかったことです。
学校ではもう30年以上も前から「自ら学ぶ子どもの育成」が掲げられながら、勉強のやり方も楽しさも教えられないままここまで来ました。そして休校中も、家庭にプリントを配布したり、ビデオ授業を撮影したりと「与える」教育を続けています。
今、AIやロボットが様々な仕事を人間から奪っていく中で、自ら考えて、自ら学び、付加価値を生み出せる人間を育てることは急務です。そんな中、学校の教育機能が期待されておらず、学校も必要な力をつけられていないという憂うべき事態です。


一言で「教育機能は期待されていない」と言っても、保護者の意識も様々でしょう。学校とは別に教育できる環境を整えているから学校には期待していないという保護者もいれば、「勉強より大切なものがある」という考えから学校に期待していない保護者もいるでしょう。また「期待はしているが、今はそれどころではない」という保護者もいるでしょう。
今の社会では勉強が苦手ということよりも、社会性が育っていないことの方がリスクが高いようにも思えます。例えば、コミュニケーションが苦手なことによって引きこもりになってしまったらどれだけ勉強してもその力を発揮する場が失われてしまいます。保護者が、行事や部活動に期待するのも、そういう面があるからと予想できます。


一方で、今の日本社会には新たなリスクが高まっています。
それは「格差」です。
学歴によって生まれる生涯賃金の格差は億単位です。大学を卒業したと言っても、一流大学とそれ以外ではやはり億単位の格差があります。正規・非正規の格差はもっと大きくなります。そして子の学歴は親の学歴や収入、生まれた地域などに影響を受けることが明らかになっています。格差は世代がすすむにつれさらなる格差を生みます。
今後さらに格差を広げるであろう要因が、AIとロボットの進化です。これらは間違いなく人間の働き手を駆逐していきます。職に就けるのは付加価値を生み出せる人間です。付加価値とは単なる思いつきではなく、確かな知識に裏づけられた思考力や創造力です。私は今ほど勉強が大切な時代はないと思います。


また学校が育てている社会性も、同調圧力に従うことが大部分で、対話によって問題解決したり、人間関係を調整するような高度な社会性を学ぶ機会はほぼありません。グループ学習の様子を見ていれば分かりますが、どのグループにもリーダーになるような子がいて、一人でどんどんすすめ、後はお客さんになりがちです。それではダメだと教員も分かっているのですが(いや分かっている人は分かっているのですが)、グループがいくつもあると対応しきれないです。今、形だけのアクティブラーニングが学校に入ると、学力もリーダー性もさらなる格差を生みます。
保護者や社会は、行事や部活動の中で子どもたちの社会性が育まれていると思っているかもしれませんが、多忙な学校は子どもたちに問題解決の機会をそれほど与えられてはいません。むしろ、できるだけ問題が起こらないように場を設定し、問題が起これば素早く指導者が解決してしまいます。例えば、子どもが喧嘩をしても、自分たちで話し合って解決するのではなく、教員が聞き取り、仲裁して、最後は握手をして「解決」の形を取ります。解決の形に落とし込まないと、保護者のクレームに対応できないからです。
昭和の時代には多くの教室にもあった「議題ボックス」は姿を消しました。議題ボックスとは、学級会で話し合ってほしい学級の問題を書いて入れる箱です。姿を消したのは、子どもたちが自分たちの問題を自分たちで解決するだけの時間が取れないからです。下手をすると学級会まで担任の司会で行われる様子もよく見られますから、子どもたちの自治性など育てられるわけはないです。
こうして考えてみると、子どもたちに十分な力をつけられない原因として浮かび上がってくるのが、教員の多忙です。
ある調査によれば教員の最大の悩みは「授業の準備をする時間がない」です。小・中・高すべての校種でワースト1です。準備不足の授業の被害者は特に低学力層です。分からない子に勉強を教えたくてもその時間がないというのは、すでに学校の正常な機能を失っています。教員が忙しいことで学力格差が広がるのです。


これから社会で自己実現を成し遂げるためには、AIやロボットにはできない「付加価値」を生み出せる力が必要になります。付加価値と言っても、知的な生産力、問題解決能力、人間関係調整力など多様です。そして、今の学校教育で育てられるのはごく一部です。結果として「才能」や「生まれながらの環境」をもつ人が自己実現を成し遂げていくことになります。
公教育はすべての子どもたちに社会活躍の機会を与える機能であるべきだと思いますが、その機能を失いかけているのです。


コロナ問題で、この社会が極めて不安定なバランスの上に成り立っていたことが露呈しています。非正規や個人事業主が生きる環境を国がまったく支えていません。このような政治や経済の問題は教育の問題とは別のところにあると考えられがちです。
社会の格差を縮める方法は2つあると言います。戦争と教育です。そうなると教育にしか格差を縮めることは期待できないということになります。しかも現在のように知識を詰め込み、従順に行動するように育てるだけの教育では格差は縮まりません。
そもそも思考力や創造力を教育することができるのかという問題も実は解決されていません。算数の応用問題を解く場合も、ノーヒントで答えられれば思考力を発揮していると思われますが、やり方を教えてもらった時点でそれは「知識・理解」の領域の力になります。全く別の応用問題が出てきた時に、前に学んだ知識を活用できればそれは一つの応用力と言えますが、それができない子にいったいどうすれば応用力を身につけさせられるのかという問題は、残念ながら今の学校教育では議論にさえなっていません。
文部科学省が立ち上げたGIGAスクール構想も、子どもの思考力や創造力を高める最も大切な部分には悲しいくらい無策です。確かに個別最適化された学習によって短時間で知識や技能の部分を習得できれば、考えることに費やせる時間は増えるでしょう。でもどうやって思考力や創造力を高めていくのかという部分は、得意の「学校丸投げ」になるでしょう。これは、一人一端末で解決できるような単純な問題ではないです。


私の計算では4月半ばから5月末まで休校があった場合、小学校高学年、中学校で約180時数の消失があります。今後、この消失を埋めるために、行事の削減や長期休業の縮小、土曜授業、7時限目の導入などが行われると思いますが、数字合わせに腐心し、「どんな子どもを育てるのか」という議論が飛ばされると、今生まれた学校教育の見直しのチャンスも水泡に帰するでしょう。


子どもたちに実社会で生きて働く力をつけることが必要なことは昭和の臨時教育審議会からの課題だったのですが、平成の30年間、学校は昭和から進化できないままの教育を続けました。
コロナ問題で社会の脆弱性が明らかになった今、未来に向けてどんな教育が子どもたちに必要なのかをしっかりと議論することが必要です。小学校では新学習指導要領が施行される年となり、英語やプログラミングに翻弄されていますが、今、子どもたちにつけなければいけない力を教員が見据えていれば「何を学ぶか」はそんなに大きな問題ではないと思います。行事も今までのようにただ量をこなし学びの薄い方法から、少なくても子どもたちが社会性や問題解決力を高められるやり方に移行する必要があります。

今、学校が取りうる方法は大きく2つの方向があります。一つ目は、今まで通りの行事やとりくみをコロナ対策をしながら可能な限り実施していく方法。二つ目は、今までの行事やとりくみをゼロベースから見直し、これからの社会を生きる力を育てることに集中する方法です。前者の方法では、教員の多忙は変わらず、子どもたちがつける力もこれまで通りのものになるでしょう。後者はまさにフルモデルチェンジです。一時的には大変な作業になるかもしれませんが、結果として子どもたちに豊かな学びをもたらす可能性が残されています。学校の働き方改革は「格差」というリスクを跳ね返すためにも何としても成し遂げなければいけない大きな壁であり、今、その最大のチャンスです。

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