学校の働き方改革「10の提言と50の具体策」

持続可能な学校をつくるための具体的な提案

【コラム3】『持続可能な学校』を破壊する答申素案の矛盾

前回の【コラム2】では、答申素案の「使える」点に焦点を当てました。おそらくマスコミが答申素案のマイナス面を強く打ち出すだろうと期待してあえて別の道を進んだのであって、答申素案に納得しているわけではもちろんありません。特に、答申素案のP42「第6章 1.給特法の今後の在り方について」は、中教審が目指したはずの「持続可能な学校」という希望を打ち崩しました。今回は私の考える答申素案の問題点について書きます。

1  制定時の教員の働き方から考える給特法のあり方

給特法は、労働法でありながら、結果として労働者を救えていません。それは、教員の働き方が時代と共に変化し、給特法が時代遅れになっているからです。給特法が、当時の働き方を背景として制定されたものである以上、働き方が変われば、法律も変化すべきです。今回がその大切な機会であったはずなのに、結果として改正は見送られました。

給特法制定時の教員の働き方を振り返りながら、答申素案の問題点を指摘します。給特法制定時の教員の働き方を示す資料が文部科学省のサイト内にありました。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/042/siryo/attach/1249656.htm

ここから伺える当時の教員の働き方は、今とはかけ離れています。

放課後においては、校長等による承認の下に学校外での勤務(図書館での教材研究など)ができるよう運用上配慮することが適当とされた。また、夏休み等においては、研修(承認研修)のために活用することが適当であるとされ、場所は自宅で行うことが想定された。

私も個人的に、1970年代の教員の働き方を知る方に聞いてみました。

「母は5時過ぎには家に帰ってきた。家で丸つけをしたり、ガリ版に書いたりしていた。」

「父は勤務時間が終わると、よく職員室のストーブを囲んで酒を飲んでいた。ストーブ談義の中で教育について語り合っていたようだ。」

「夏休みはほとんど学校に行くことはなかった。」

「研究熱心な先生は、個人的に植物や魚類の調査や勉強をしたり、県外から著名な先生を呼んできて研究会をしたりしていた。」

今と比べて相当に時間の余裕があり、個々の裁量で運営できる幅があったことが伺えます。

前述の文科省の資料では『教育に関する専門的な知識や技術を有する教員については、管理職からの命令により勤務させるのではなく、教員の自発性、創造性によって教育の現場が運営されるのが望ましい』とあり、専門職としての一定の地位がある(自発的、創造的に運営することを認められている)ことも分かります。

このように自由裁量が認められる職でありながら、全国で時間外勤務手当の支払いを求める訴訟がいくつも行わました。それに対して司法は「支給すべき」という判断を下しました。「教員は専門職か?労働者か?」その混乱に一定の結論を出すための法律が給特法でした(詳細は「みらいの教育」武久出版  内田良・苫野一徳著 2018 をご覧ください)。そして、1966年に行われた勤務実態調査で明らかになった月8時間程度の時間外勤務時間の数値をもとに「4%」の教職調整額が支払われることが定められました。

まとめると、給特法は次の条件下で定められた法律です。

・教員に自由裁量で行う研修が推奨されており、その十分な時間が放課後や長期休業中にあった。

・自由裁量の業務は勤務時間の内外を問わず図書館や自宅で行われることも認められていた。

・自由裁量の業務も含めた時間外勤務時間は月8時間程度であった。

答申素案には、「教員の自発性、創造性に基づく勤務に期待する面が大きい」「教員の職務の特殊性と勤務態様の特殊性」などという言葉が何度も出てきます。これは、50年前の働き方をもとにした解釈であることは明らかです。働き方がここまで変わった中で「そこだけ」トレースすることはかなり無理があります。

そして、答申素案が示す改善の道筋は、教員がすべき業務とそうでない業務を見直そう、言い換えれば給特法制定時の状態に戻していこうというものです。そうやって「時間外勤務手当は支払わなくていい」「4%も今はまだ変えなくていい」という主張につなげています。しかし「自発性・創造性」をベースにした教員の働き方を求めるのであれば、夏休みを埋め尽くす研修や初任研、中堅研のような義務研修、免許更新制度や学校外での自主研修を認めない管理体制の見直しも議論すべきでしょう。しかし、もはや教員の働き方を50年前に戻すことは不可能です。

現在の学校の働き方に給特法を当てはめるのは無理です。答申素案は、その無理を必死に正当化しようとしていますが、その矛盾は次に示す「時間把握」で決定的になります。

2 時間把握はできるのか?給特法が抱える矛盾

給特法制定時、教員に時間外勤務手当を支払わない理由は「勤務態様の特殊性」があるからと結論付けられました。前述の文科省サイト内の資料から引用します。

通常の教科授業のように学校内で行われるもののほか、野外観察等や修学旅行、遠足等の学校行事のように学校外で行われるものもある。また、家庭訪問のように教員個人の独特の勤務があり、さらに自己の研修においても必要に応じて学校外で行われるものがある。このように、勤務の場所から見ても学校内の他、学校を離れて行われる場合も少なくないが、このような場合は管理・監督者が教員の勤務の実態を直接把握することが困難である。』(下線筆者)

しかし今回、「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」(案)では、『「勤務時間」を適切に把握するために、今回のガイドラインにおいては、在校時間等、外形的に把握することができる時間を対象とする。具体的には、教師が校内に在校している在校時間を対象とすることを基本とする。』(下線筆者)と示されました。勤務時間=在校時間とするなら、管理・監督者は教員の勤務実態を「目視」という形で直接把握することができるはずです。家庭訪問などで出張した場合も、業務終了後は学校に戻ることが基本です。長期休業中の承認研修(自宅等で行う自主的な研修)は認められません。タイムカードによって勤務時間を把握するということは「勤務態様の特殊性」はないことを認めたことになります。つまり答申素案は、時間外勤務手当を支払わない理由であった『管理・監督者が教員の勤務の実態を直接把握することが困難である』という給特法の存在根拠そのものを否定したことになります。

3 答申素案がもたらす歪み

答申素案が導き出した結論は「教員の管理はそのままで、自発性・創造性を求められ、学校の業務の削減も求められ、時間外勤務手当は支払わない、4%も継続・・・」というものです。これが引き起こす歪みは間違いなく、教員のなり手不足でしょう。「持続可能な学校」を目指し始まった中央教育審議会ですが、なり手不足をさらに深刻化させるような結論がど真ん中に来てしまったのは皮肉です。

これを回避するためには、前回の【コラム2】で述べたような、一つ一つの削減策を前進させていくしかありません。おそらく、これを読んでいる方は、改革の必要性を強く感じておられる方々であると思います。ぜひ、それぞれの立ち位置で「蟻の一穴」をこじ開けていきましょう。残念ですが、大きな「堤」を真正面から崩すことは難しいことを今回の答申素案が証明しました。

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